[私の心の随筆]
〈静観(せいかん)の心構えで混乱した世界を渡る〉
朝早くから、北西風に乗って雪が再び舞い散った。すでに春が戸口にまで来ていると思っていたのに、自然は何も語らず、冬の幕をもう一度広げてみせた。ようやく顔を出したクロッカスは、冷たい雪を受けてしばらく身を低くしている。しかし、その根はなお大地の奥深くにしっかりと張っている。外側では縮こまっていても、内側では少しも揺らいでいない。
この光景を眺めながら、私は朝鮮王朝の外交官であり思索の士であった崔岦(簡易: 1539-1612) が語った「静観」を思い起こす。
静観とは、単に静かに見ることではない。激しい波の中でも中心を失わず、感情に流されず、物事の理(ことわり)を深く読み取る能動的な静けさである。外交の緊張のただ中にあっても、彼はまず立ち止まり、状況を洞察し、急ぐよりも流れを見極めた。
今日の世界は、吹雪のような速さで変動している。情報は洪水のようにあふれ、対立は拡大再生産され、人々は即座の反応を求められる。怒りと不安は空気のように広がっている。このような時代だからこそ、目を閉じ耳を塞ぐのではなく、より深く見つめる静観の姿勢が必要である。騒がしさの中で即座に反応するのではなく、一歩退いて本質を問う力が求められている。
雪の中のクロッカスは焦らない。今すぐ咲けないからといって、自分の時を疑わない。ただ時機を待つだけである。今日の混乱もまた、季節の一過程にすぎないのかもしれない。変化は直線的には訪れず、後退のように見える曲折を経て完成へと向かう。雪は春を妨げるのではなく、むしろ春をより強く準備させる。
静観は私たちに三つのことを教えてくれる。
第一に、立ち止まる勇気である。即断即決が美徳とされる時代にあって、あえて立ち止まり熟考することは、より大きな勇気である。
第二に、内面の中心を確立することである。外の声が大きいほど、内なる声をより明確に聞かなければならない。
第三に、時間を信頼する姿勢である。すべてが一瞬で解決するわけではないという事実を受け入れること、それが成熟である。
幼い頃、真夜中に降った雪は、朝になると世界をまったく別の姿へと変えていた。しかしその変化は音もなく起こっていた。今日の私たちの人生も同じである。大きな転換は、騒がしいスローガンではなく、静かな内面の変化から始まるのかもしれない。一人の落ち着いた選択、一度の慎重な判断が、新たな秩序を形づくる。
混乱した時代を乗り越えるとは、すべての嵐を取り除くことではない。その中で方向を見失わないことである。雪の中のクロッカスのように、しばらく身を低くしても根を手放さないこと。外には柔軟でありながら、内なる確信を固く守ること。それが静観の実践である。
雪はやがて溶ける。しかし、雪が降る間にどのような心を抱いていたかは残る。不安に流されたのか、それとも静かに見つめていたのかによって、次の季節は変わるだろう。
白雪の下で、クロッカスはすでに春を知っている。私もまた、この混乱した世界の中で静観の眼を持ちたい。焦らず、動揺せず、深く見つめながら一歩ずつ前へ進みたい。
冬がどれほど長く続こうとも、その下ではすでに春が準備されている。そして静かに見つめる者だけが、その最初の気配にいち早く気づくのである。 ***
2026年3月3日
崇善齋(すうぜんさい)にて
{ソルティ}
한국어 번역: https://www.ktown1st.com/blog/VALover/348532
English Translation: https://www.ktown1st.com/blog/VALover/348533