[私の心の随筆]
<裏庭から始まる一日の思索>
朝、目を覚ますと、まだ世界が完全に目覚める前の静けさが、まず私を迎えてくれる。その静寂は、まるで新しい一日の最初の頁を開く前に、ひと息つく時間のように感じられる。私は静かに扉を開け、裏庭へと足を運ぶ。
冷たい空気が頬をかすめると、私は自分が生きていることを鮮やかに実感する。その瞬間、昨日とは異なる今日が始まったことを、心と身体が同時に受け入れる。
裏庭に立ち、遠くの山々を見つめる。長く連なる稜線はいつも同じ場所にあるが、日ごとに少しずつ異なる光と表情を見せる。その微かな変化の中で、私は今日一日の方向を感じ取ろうとする。
山は何も語らない。しかし、それゆえに、かえって多くを語りかけてくるように思える。急がなくてよいこと、揺らがなくてよいことを、静かに教えてくれる。
ふと視線を移すと、自然に十七本の松の木へと目が向かう。それらの木々は、私とともに時間を生きてきた存在である。
この地に越してきた頃、彼らは小さな存在だった。風に揺れ、今にも折れてしまいそうだった姿が、今もなお鮮明に記憶に残っている。
しかし今、彼らは堂々と立っている。太くなった幹と大きく広がった枝が、積み重ねてきた歳月の深さを物語っている。
それぞれの木は似ているようでいて、少しずつ異なる姿を持っている。その様子は、まるでそれぞれ異なる人生を歩む人間の姿のようでもある。
私は彼らを見つめながら、自らに問いかける。私はどれほど成長してきたのだろうか、そしてこれからどれほど成長すべきなのだろうかと。
松の緑は四季を通じて変わらない。その変わらなさは、ときに慰めとなり、ときに自分自身を映す鏡となる。
冬の厳しい風の中でも、夏の強い日差しの中でも、彼らは自らを守り続ける。その姿は、言葉なき強さの象徴のように感じられる。
裏庭の一角にはレンギョウがある。春になると、最初に明るい黄色の光で世界を目覚めさせる。
そのそばのモクレンは、もう少しゆっくりと、しかし優雅にその存在を現す。一枚一枚の白い花びらが、洗練された思索のように静かに開いていく。
カエデはまた別の時間を宿している。今は平凡な葉をつけているが、やがて赤く染まり、季節の深まりを語るだろう。
このように、裏庭のすべての存在は、それぞれの時間に従って生きている。急ぐことも、比べることもなく、ただ自分のリズムを守っている。
それらを見つめながら、私は「生きる」とは何かを改めて考える。生きるとは、絶えず変わりながらも、自分自身を失わないことなのかもしれない。
一日一日は何気なく過ぎていくように見えるが、その中には見えない蓄積がある。木々が成長するように、私たちの人生もまた、少しずつ深まっていくのだろう。
この裏庭は、私にとって単なる空間ではない。それは思索の場であり、人生を学び直す小さな学校のような場所である。
私は今日もそこで問いを投げかけ、ときには答えを得られないまま戻ってくる。しかし、その問い続けること自体が、すでに一つの理解なのだと感じている。
家へ戻る前に、もう一度山と木々を見渡す。彼らは相変わらず沈黙しているが、すでに十分に語りかけている。
そして私は静かに誓う。今日一日もまた、あの木々のように、揺るぎなく、誠実に生きていこうと。
2026年 3月 21日
崇善齋(すうぜんさい)にて
{ソルティ}
한국어 번역:https://www.ktown1st.com/blog/VALover/348663
English Translation: https://www.ktown1st.com/blog/VALover/348664
